浮谷東次郎とクライドラー
「素晴らしいぞクライドラー。走れクライドラー」という文章を目にしたことはあるだろうか。
この言葉を残した人物こそ浮谷東次郎である。
この言葉を彼が残したのは「がむしゃら1500キロ」の中である。
そのためこの言葉は彼の書籍を読んだことがある人しか知らないものではないかと思う。
浮谷東次郎は中学3年生でクライドラーに乗り1500キロもの距離を走っているのである。
乗っていない人物がクライドラーを良いと評価しても説得力が全くもってないのだが、彼はかなりの距離を走っているのである。
彼を魅了したクライドラーとはどんな乗りものなのだろうか。
クライドラーとは
クライドラーというのは、自転車・モペット・オートバイのドイツのメーカーであり、1951年からオートバイの製造を開始したメーカーである。
1950年代半ばになると、ドイツ国内の50ccのオートバイの販売をほぼ独占していた。
さらに1959年にはドイツ国内の販売シェアの1/3を占めるほどにまで成長するなど脅威的な成長をした会社なのである。
また1970年代になるとモータースポーツでも成功を収めている。
二人のオランダ人ライダーによって、世界チャンピオンも獲得されている。
ロードレース世界選手権の50ccクラスでは、クライドラーのマシンに乗ったライダーによって8回ものタイトルが獲得されかなりの活躍がされたメーカーでもあるのだ。
浮谷東次郎からみたクライドラー
実際にクライドラーに乗った浮谷東次郎はどう思ったのか、彼のクライドラーに対する評価も見てみよう。
彼はクライドラーに乗って旅をしたときのことを書いたがむしゃら1500キロにおいてこう評価している。
「スピード、加速、安定性の素晴らしさは全く驚異的」という評価を中学生の彼はしていたのである。
50ccのクライドラーに乗っていた彼だが、クライドラーを知らない状態で乗っていたら50cc車だとは信じられないとも言っている。
市川~大阪間の1500キロ意外にも彼はクライドラーで軽井沢や富士五湖を一周したりなどもしていたようだ。
そのことからもクライドラーという乗りものは彼にとても愛されていたのだろう。
まとめ
がむしゃら1500キロは浮谷東次郎の代表作とも言える作品である。
そんな作品の中で出てくるクライドラーは、浮谷東次郎を語る上では欠かせない乗り物と言えるのではないだろうか。
幼いころから乗り物に触れる機会があった彼が、中学生という幼い頃にこれだけ評価していたクライドラーという乗り物は50ccの乗りものだからといって侮れない。
当時の舗装がきちんとされていない道路を1500キロも走り切ったのだからすごいの一言につきる。
昔の乗り物ということで、今では乗ることは難しいかもしれないが一度は自分の目で見てみたい乗り物の1つである。