オートバイと初恋と わが青春の遺産とは
オートバイと初恋と わが青春の遺産は、浮谷東次郎に関する書籍の1つである。
他に有名な書籍として、「がむしゃら1200キロ」や「俺様の宝石さ わがアメリカ横断紀行」などが出されている。
浮谷東次郎を語る上でどの作品も欠かすことはできないものだ。
がむしゃら1200キロは東次郎が中学3年生の時の旅を描いたものであるし、俺様の宝石さ わがアメリカ横断紀行は18歳からの数年のことを描いたものなのである。
この2つの書籍には空白の期間があるのだが、この2つの空白の期間を埋める内容となっているのがオートバイと初恋と わが青春の遺産なのである。
これは浮谷東次郎が高校生の時のことを描いている内容となっている。
東次郎の反抗期
大体高校生の頃といえば多くの人間が反抗期に入るものである。
なぜ反抗してしまうのかと問われると人によって理由も違ってくるだろうが、それが反抗期というものだからという理由になってしまう。
そんな誰もが通るルートを東次郎も通ってきたのである。
東次郎が高校生の時は、父親に良い高校に行くようにということを言って聞かされていた期間なようだ。
しかし彼はそんな父親の言いつけに対して反抗していたようなのだ。
若くして亡くなった偉大なレーサーも一人の人間なのである。
反抗期ともなれば普通の人と同じように親に対しての反抗心があったというのは非常に人間味が感じられるエピソードだ。
単車で逃避
東大に入れと父親に散々言われていた東次郎の高校自体だが、言われていた東次郎自身はその父親の言葉を好意的には受け止めていなかったようだ。
実際高校生の間には何度も父親との衝突があったというエピソードもある。
小さなころから車やオートバイなどに触れる機会が多かった彼だが、高校時代もそれらが好きなことは変わっていない。
実際父親が寝静まってからは、そのストレスの発散をするためか単車で走り回っていたようだ。
夜に単車を乗り回していたことがきっかけでトラックと衝突する事故を起こし、怪我によって高校に戻ってからもついていけない状態になってしまったのだ。
その時から彼はアメリカへの憧れを抱くようになる。
アメリカに旅立つまで
東次郎は事故によって怪我をし、3ヶ月高校に行くことができなかったためそこで大きな挫折を味わったのである。
また、勉強が遅れたことによってさらに父親との衝突も増えたようだ。
そんな時に東次郎が出会ったのがジェームス・ディーンが主演を務めた理由なき反抗なのである。
東次郎はこの映画を何回も見に行ったという。
この作品との出会いによって彼はアメリカに行きたいという気持ちを募らせることになっていく。
そこからアメリカに行くエピソードにつながっていくのだ。